ケンタくん(小学校6年生・男子・自閉症)

こだわりやパニックがひどく外出もできないほどの幼児期でしたが、毎日親子で運動をやるなかでガマンできることが増えてきました。今では、チーズバーガーを食べに行くのが楽しみです。


ケンタくん(小学校6年生・男子・自閉症)


順調に見えた日々
 仕事の関係で1年の3分の1近くを出張で家を留守にする生活だったため、もっぱら子育ては母親任せの状態でした。また、母親も仕事を持っているので、ケンタは1日の大半を祖母と過ごす日々でした。出張から帰って見るケンタは、順調に成長しているように感じました。祖母の話にも異常を感じることなど微塵もなかったのです。
 3歳になって、言葉が出ないのが唯一の気掛かりでしたが、「おんも」と言い出したので、少々言葉が遅れているだけと不安もなくなりました。

脳障害の診断
 順調に成長しているかに見えたケンタでしたが、言葉のあまりにも遅いことに受けた診療で、「水頭症、左右の両側頭葉の欠落」との診断を下されたことを母親から聞かされた時も、実感できませんでした。
 保育園に通わせる段になって、保育園選びや交渉にあたる母親の姿を見てケンタのこれからが大変になる予感が少し出てきました。保育園も障害児を受け入れるのは初めてということでしたが、ケンタの保育園通いがスタートしました。通園は母親が自転車で送り迎えをする日々でしたが、問題が続発してきました。
 自転車の後ろに乗せていると、すれ違う人へ唾を吐き、手を出すなどします。私が迎えに行く時は歩きのため、道路への座り込み、飛び出しが見られるなど、一時も目を離せない日々の連続です。そんな折、療育機関との出会いがあり、週1回の療育指導が始まりました。

脱走の頻発
 成長するにつれ行動範囲が広くなり、脱走事件が発生しました。
@保育園からの脱走と交通事故
 保育園が川越街道と面しているため、保育園から脱走して車と衝突という交通事故。そして道路に飛び出す振りをして車を止めて喜ぶという具合です。
A家からの脱走
 家からの脱走事件もいくつもあります。私がちょっとトイレに入っている間に脱走、約1時間後に鉄工所で遊んでいる所を近所の人が保護。旅行先の家で深夜に脱走、パジャマ姿に裸足を不審に思った通りがかりの人が警察に知らせて保護。コンビニの前で車を止めて遊んでいるところを店員さんの連絡で警察が保護等々。
 その度にドアの錠の数を増やしますが、すぐに開け方を覚えてしまうという具合です。開けられた三重四重の錠を前に、親の方が茫然となったこともあります。
 このような大変な時期に、私たちの心労のとどめとなったのが、私たち親子の転居を促す近隣の人からの貼紙です。この頃ケンタは、耳の所に手をやり唸ったり、夜になると泣き出す始末でした。この貼紙以後、泣き出すたびに母親が近くの公園に連れ出し、泣き止むまでなだめる日々が続きました。
 力もついてきて、イスや机をガタガタさせる行為も出てきたため、床にジュータンを二重に敷き、イス・机の脚に布を巻きつけて音が響かないようにしたりしました。しかし、こんな状態は長続きしません。結局、生活の場を少しずつ変える破目になりました。家を確保しておいて別の場所に移りましたが、行ったり来たりの生活は生活効率が悪く、落ち着かない日々が続きました。

出張のない仕事の仕方へ
 厳しい日々の連続、そして祖母が病気がちになり入退院のくり返し、ケンタの世話、祖母の世話と、母親にとっての状況は、さらに厳しくなるばかりです。療育機関への送迎もできなくなる日が多くなる方向へ。そして私の送迎が多くなって、出張ができなくなるにつれて仕事の仕方の変革を迫られました。変革といってもそんな立場にもなく力もない中でどうするか迷っている時、たまたま療育機関での勉強会に出席してみなさんの頑張り、悪戦苦闘ぶりを聞いて迷いもなくなりました。中途半端な状態ではケンタが成長しない。そう一念発起すると、仕事の仕方を変える方向が見えてきました。
 グループで仕事をしている関係で自分だけではどうしようもない部分がありますが、仕事の流れを変え療育指導日(当時土曜午後)を全て私が送迎できるように予定を組む、自分だけの部分は日曜日にするなど工夫をしました。そして、療育での課題への挑戦に取り組み始めました。
 極力出張をなくす方向への転換も進めましたが、会社の規模、組織上、遅々として進まない状況でした。当初は、出張先から療育日だけ自費で帰って来る状態が続きました。

小学校への入学
 ケンタを通わす学校選びでは、選択の余地がないことから、即決まりました。そして、午前は学校、午後は児童館という生活が始まりました。学校の帰りの迎えと児童館の送り迎えを在宅福祉サービス機関の職員が担当してくれました。
 療育機関の担当の先生、小学校の担任の先生、そしてサービス機関の職員とまわりを男性に囲まれ、自分の思うようにならないストレスからか、児童館でケンタの問題行動が続発、児童館通いを断念せざるを得なくなりました。しかしこれがケンタの成長を早めるきっかけになりました。学校から帰ると、サービス機関の職員やライフサービス等の方々と夜まで家庭で過ごすことになりました。この方々が近くの公園に連れて行ってくれたり、療育機関の課題をやってくれたりしたのです。この頃からケンタは大人の声掛けだけで行動できることが多くなってきました。

脱走の終息
 課題も順調にこなせるようになって少し落ち着きが出てきました。家具によじ登ることやガタガタさせることも少なくなってきましたが、夜の徘徊は相変わらず続いていました。療育機関の夏休みの合宿でも行方不明事件を引き起こしたり、家で押入れの隅で寝ていたりと、家の外には出て行かないのですが、夜起き出して動きまわるのです。夜8時頃に寝て、深夜徘徊して再び寝て朝5時前には起き出すという生活が続きます。親としてはいつ脱走するかと気が抜けない日々でした。時々起きてケンタの居場所を確認しなければなりません。この頃、私もほとんど出張することもなくなり、ケンタとの根気比べです。夜中の徘徊をなくすために夜早く寝させないように工夫もしました。
 4年生になり突然状況が一変しました。学校で朝の廊下掃除とマラソンが始まったのと同時に、就寝の時間が安定したのです。就寝が10時頃に、起床が6時頃に、そして夜中の徘徊がほとんどなくなり、今では錠があいていても脱走の心配もなくなってきています。

自傷行為の再発
 4年生の夏休み後半から頭髪を抜くという自傷行為が出てきたのです。頭髪にさわれないように包帯を巻いたりしたのですが効果なく、新学期が始まった時には時代劇の大五郎状態になっていました。頭髪を引きむしる自傷行為はなくなりましたが、今でもその当時膿んだ所の傷が残っているため、指でさわって気にとめています。
 今思えばケンタは自傷行為の克服が成長の証しだった気もします。最初は頭を壁にぶつけることから始まりました。我家の壁は穴だらけです。次は体のいたる所をつねる行為です。太もも、手の甲、肩とあざだらけです。事情を知らない人が見たら親が虐待していると訴えられかねません。

身辺自立へ再挑戦
 多動・自傷・脱走と次から次と出てくる問題に振りまわされ身辺自立がしっかり身についていない現状です。やっと声掛けに応じられるようになり問題行動も少なく落ち着きも出てきました。やっとここまでこれたことが嬉しくもあり、以前の喧騒が懐かしくもあります。今度は何をやらかしてくれるのやらと楽しみのところもあります。
 次の悪戦苦闘が始まる今の余裕のあるうちに、何としても身辺自立をしっかり身につけさせようと思っています。声掛けがあればお座なりながら、一応のことはできるところにきています。しかし今一度、着替え・食事・排便を見直して、一から手順を踏んでできるように身につけさせていきたいと思っています。
 この4月からケンタも5年生。療育機関での療育も火曜の個別指導から金曜のグループ指導へ替わります。これからの身辺自立の確立は親の取組みいかんに依ると、決意を新たにしています。
 また、多くのことを体験させてやりたいと思っています。ケンタは、初めて体験することに対して臆病になり尻込みし、失敗したことにこだわってパニックになります。次から次へと色々のことを体験する中で、失敗にいつまでもくよくよこだわらないようになってくれたらと思っています。
 私もしばらくの間、仕事での変革が待っています。火曜休日から金曜休日への振替えです。少しでも多くケンタへの関わりを持ちケンタの身辺自立を確立するため、金曜休日に取り組むつもりです。幸い母親が療育日の送迎ができる日がありそうなので心強い思いでいます。
 私の子育ては、私の仕事への関わり方を大きく変えてくれました。また、これからも大きく変えていくものと思います。


●ケンタくんのプロフィール●

生年月日…平成2年8月22日
長   所…自信のあることに対しては体調に関係なくひたむきに頑張る
短   所…失敗したことにこだわり尻込みする
好きなこと…車にのる、物をまわす
嫌いなもの…音質の高い音のでるもの
目   標…身辺自立の確立

 

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