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Q5

■知的障害者の通所授産施設の職員です。施設での作業は、企業の下請けの仕事が主ですが、年々、体力不足や肥満傾向の方が増えているようで、利用されている方の大部分がこの問題を抱えています。作業の合間に運動をする時間を設けてはいますが、なかなか効果があらわれません。  座位の作業が多いこと、運動をする機会が少ないこと、食事量が多いこと(施設では栄養管理された食事ですが、家庭では食べ過ぎてしまったり、食べるものにこだわってしまったりということがあるようです)などが肥満傾向になる原因と考えています。病気になる前に何かできたら、と思っています。  そこで、効果のある運動、食事摂取量を改善するアイディアなどを教えていただければと思います。

A5

●はじめに
 学校を卒業すると、運動不足や食事量の増加、加齢などの影響で、肥満傾向になりがちです。
 肥満度の目安として、BMI(Body Mass Index 体格指数)が使われています。体重(kg)を身長(m)の2乗で割った値が、BMIで、日本人では、「22」が理想とされており、「26.4」以上を肥満と判定します。  また、体脂肪率では、インピーダンス法(身体の電気抵抗を測ることで体脂肪率を算出する方法)で、男性25%以上、女性30%以上が、肥満状態です。
 肥満に伴う合併症として、高血圧症、高脂血症、高尿酸血症、糖尿病、心臓病、脂肪肝、生理不順、睡眠時無呼吸症候群などがあり、また、体重がかかりすぎることにより、腰痛や膝痛も出現します。  このような合併症は、少しずつ進行するので、自覚症状があまりなく、そのため肥満度がどんどん増していってしまうのが現状です。

●食事について
 まず、ご家族や職員の方々が、1日の摂取カロリーが断然多いという自覚を持つことが必要です。周りの方の協力がなければ肥満予防や改善はできません。
 今回、このようなご質問をいただいたことを、とても有難く思っています。周囲の方々が気づかず、合併症が重くなって、ようやく来院されるケースが多いからです。
 デスクワークであれば、一日の摂取カロリーは、2000kcalあれば十分です。ご家族に食事日誌を1週間つけていただき、総カロリーを点検します。  ここで、24歳のA子さんの例をご紹介します(表1)

表1:身長160cm,体重82kg,BMI32,体脂肪率40%

1日の様子 改善案
 朝 食  パン、卵、サラダ、牛乳    約 600kcal  和食            400kcal
 おやつ  缶コーヒー1本            90kcal  インスタントコーヒー    10kcal
 昼 食  ごはん、揚げ物のおかずなど   900kcal  創意工夫         600kcal
 おやつ  ケーキまたは饅頭と、ジュース  200kcal  あめとお茶          50kcal
 間 食  スナック菓子            200kcal  →             200kcal
 夕 食  ごはん、味噌汁、主に肉類のおかず
                    900kcal
 創意工夫         700kcal
 入浴後  牛乳200ml            130kcal  氷水             0kcal
総カロリー
                3,020kcal
            1,960kcal

 まず、朝食を和食にして、10時の休憩時の缶コーヒーを、インスタントコーヒーにミルクとノンカロリーシュガーにしてもらいました。缶コーヒーや、甘い飲料水には、かなり沢山の砂糖が入っています。ふつうコーヒーに砂糖を入れる場合はスティックシュガー3gを1〜2本ですが、缶コーヒーには約7本分(約20g)入っています。また、100ml中に5kcal未満はゼロと表示してもよいことになっており、市販の飲料水の中には、500mlのペットボトル中実際には20kcal含まれているものもあります。
 牛乳、ヨーグルト、チーズなどの乳製品は、意外とカロリーが高いので中止し、カルシウムは、大豆製品(納豆、豆腐、豆乳など)で摂ってもらいました。
 A子さんは夕方帰宅すると、まず、おやつを食べます。これが、とても楽しみなので、なかなかお菓子の量を減らすことはできないとのことでした。そこで、作業所での昼食とおやつを減らしていただきました。また、夕食前に居間の床拭きを日課にしてもらいました。
 A子さんは、小さい頃、食が細く、やせていました。成長するにつれて食べる量が多くなり、食べている時はとても機嫌がよいので、お家の人たちは、ついついほしがるだけ食べさせていました。ご家族は、やせていた頃のA子さんのイメージがとても強く、目の前にいる82kgのA子さんをなかなか認識できないようでした。  A子さんには、生理前のイライラや便秘を改善する漢方薬を処方して、お家の方には、肥満の合併症について徐々に理解していただきました。野菜、きのこ、海草、こんにゃくなどで、ボリュームを落とさず、カロリーを減らす料理をお母さんがいろいろ考えて、A子さんの体重は、2カ月で3kg減少しました。

●運動について
 かかとから着地して膝を曲げずに、つま先を蹴り上げる歩き方(後ろになる足をしっかり伸ばす)をすると消費エネルギーが高くなります。1日7000歩が目標ですが、片道10分の通勤時でも、大股、速歩で胸を張って歩くと、結構いい運動になります。
 ストレッチやスクワット、ダンベル体操などを、音楽に合わせたり、ゲームの中に取り入れたりして、楽しくできるとストレス解消にもなります。
 私は常々「人力発電」ができるようになるといいのにと考えています。太陽光発電や風力発電が自然エネルギーとして、近年見直されてきています。供給が天候により不安定という弱点を足踏みや手こぎという人力で補い、安定したエネルギーになれば、運動不足の解消にもなります。
 また、高齢者世帯の発電にボランティアでお手伝いできたら、地域でのコミュニケーションも広がり、環境にも人にも優しい社会になると思います。楽しいか、人に感謝される「運動」でないと、なかなか継続できません。

●最後に
 前述した合併症がないか、あっても軽度の場合は、食事と運動で、肥満の改善ができます。私自身、数年前に食事の見直しと1日10分のダンベル体操をして、1年半で8kg減量しました。
 ダイエットというと食べたいものが食べられなくなると考えがちですが、食べなくてもいいものも、つい食べていることに気づくのが第一歩です。そして、「食べる」ことでない楽しみをいくつか見つけることが本当の健康につながると思います。


相談員:竹内 紀子(発達協会)小児科医・内科医

 


Q4

青年期の方への対応について悩んでいます。私は知的障害の方々が働く作業所の職員をしています。さまざまな障害の程度の方々が働いているのですが、新しく入ったメンバーのAさん(軽度の知的障害を持っています)が、作業のできない人をけなすような発言をする時があります。そのつど「人の嫌がることを言ってはいけない」と伝えるようにしているのですが、指摘するとよけいにエスカレートするので、最近は職員も教えなくなってしまいました。本人は、それほど悪意を持ってけなしているつもりでもないようですが、言われる側の立場を考えると無視できません。Aさんに対してどのように伝えていけばよいのかアドバイスをお願いいたします。

A4

■一般社会と同じで、作業所には障害や能力、性格もさまざまな人たちが通所していますので、職員の方々はいろいろご指導に頭を悩ませていらっしゃることと思います。それぞれの人たちが育った家庭も地域も違い、受けた教育も同じではありません。ある人は仕事を手早く正確にすることができるかと思うと、熱心に取り組んでも周りの人の10分の1が精一杯の人もいます。中には口ばかりで集中しない、いい加減といった人も……。
 作業所に入る前、幼児期から入所までどのような環境で生活し、指導を受けてきたかですが、体をしっかり動かす、手をたくさん使う、苦手なこと、難しいことを少しでも減らす努力をしてきたかどうかが作業への取り組みに大きく関係しているのではないかと思います。こつこつ積み重ねていく粘り強さはその人の大きな財産だと言えますね。

 人は、物事や他者を理解しようとするときに、まず自分が体験したことや自分の生活経験を基にするのだと思います。日常生活の中での例をいくつか挙げてみると、『カレーライスを食べた』ということばから思い浮かべる味やにおいは、自分の知っているカレーライスの味やにおいです。また『玄関のドアを閉める』ということばから想像するのは、わが家のドアや知人の家の玄関でしょう。いずれにしてもその下敷きとなるものは実にささやかな体験でしかありません。
 Aさんの理解の範囲もそう広くはないのでしょう。『人の嫌がることを言ってはいけない』と「ことば」ではわかっていても『嫌がること』の内容を具体的にどこまでわかっているかは疑問です。Aさんは単に見たまま感じたままを言っているつもりかもしれません。

 以前私が出会ったMさんは人の気持ちを読みとることが難しく、相手の気に触ることを言っては級友に叩かれたりしていましたが、本人は相手がなぜ腹を立てるのか叩くのかわからないのです。AさんもMさん同様相手への気づかいをする、人の立場になって考える経験が少なかったのでしょう。「言ってはいけない」と言われると余計に気になって言いたくなる場合もあります。
 指導する側は、ひとつひとつ具体的にその場に応じて「〇〇と言わないの。Bさんが嫌だって言っているでしょう」と教え、そしてBさんには「Aさん、〇〇と言わないで」と言わせます。このようにしていけないところを指摘するのと同時に、もっとよい言い方を「〜と言うほうがいいよ」などと教えてあげるとわかりやすいでしょう。以上のようなことはAさんに限らず他の通所者にも言えることです。
 お互いが助け合う場をつくる工夫もよいですね。作業所の仕事の内容にもよりますが、それぞれが自分に割り当てられた仕事をするためで、たくさん仕事をした人は工賃も多く、少ししかできない人は低い工賃になる場合もあるでしょう。
 しかし、無遅刻無欠勤で毎日まじめに働く人は、仕事に差はあってもその人の誠実さが評価され、仲間から認められるのではないかと思います。作業所の仲間同士一緒に荷物を運ぶ、朝夕の清掃、食事の支度・片付けをするなど、お互いに力を出し合い協力できることがたくさんあるでしょう。ひとりではできないこともみんなで力を合わせればやり遂げることができます。Aさんが仲間から助けてもらうこともきっとあると思います。これは彼にとって大切な経験といえます。

 仕事だけでなく余暇を一緒に楽しむ中でも、お互いのよさや立派さに気づき相手を見直す機会がもてるでしょう。職員がちょっとした場面で何気なく、Aさんがけなした相手をほめることから、その人の良さに気づかせることもできます。
 今までAさんが受けてきた指導についても気になりますね。学習や生活全体についての評価の基準が、能力主義一本やりではなかったか、『できるかできないか』『できないのはだめな人』といった価値基準で育てられてこなかったか。人や物事を肯定的に捉えるか否定的な目で見るかによっても、物事の受け止め方が変わってくると思います。仕事にもよりますが、Aさんに小グループのリーダーをしてもらうことを考えてはどうでしょうか? 仕事がスムーズに進むよう気を配り、やさしくメンバーの面倒を見るように仕向けて、「それがいいのよ」と彼の優しさに気づかせる。「できる」「できない」ではない、お互いの認め方を学ばせる機会にもなると思います。

 以上、Aさんへの働きかけを考えてきましたが、通所者全体の力のレベルアップもやっていきたいですね。手指機能を高め、考えて工夫する課題は、作業所以外の場でもできそうです。入浴、掃除、洗濯、買い物いろいろありますね。大いに普段の生活が見直されるとよいと思います。
 いくら教えてもAさんが変わらないということなので、指導の仕方に工夫の余地がないかいろいろ考えてみました。「これだ」という決め手がなくなかなか大変ですが、職員、通所者、家庭の皆さん方で知恵を出し合っていらっしゃるとよいと思います。どうぞ、根気・元気でがんばってください。


相談員:神田 武子(発達協会)保育士


Q3

■作業所の職員として働いています。企業から受注してきた仕事をしています。仕事を貰うため、日々努力しているのですが、新しい取引先で、作業所だと伝えると「それならこれくらいでやってくれ」と普通より安い工賃で仕事をくれることが多く、同じ仕事なのに・・・と悔しい思いをしています。
 職員として、そのような時、どう立ち向かっていけばいいのか、毅然とした態度でのぞむべきか悩んでしまいます。
 こうした差別は所員の家族のことにもあり、兄弟姉妹が結婚適齢期になり、結婚話が進むと、障害がある兄弟がいることを理由に反対され、ご両親が悩んで、相談されることがあります。
 偏見や差別にどう対応したらいいのか悩んでいます。

A3

■差別や偏見のことはとても難しい問題で、限られた誌面や未熟な私では簡単にお答えできる問題ではなく自信がありませんが、私なりの考えを述べてみたいと思います。
 企業で仕事を貰う時、貴女が毅然とした態度を取ったら、仕事は貰えないでしょう。
 また結婚を反対されている相手側の親族の所へ怒鳴り込んだり、「反対するなら嫁に行くな!」と怒っていては、兄弟姉妹たちは結婚も出来ません。
 本当は毅然として反論できたら、どんなにすっきりするか、私もハンディのある子どもや家族とつき合い始めて二十数年になりますので、こうした差別や偏見にはとても怒りを感じます。でもこうした事態を変えるためには、怒ったり悲しんだりしていても前には進めません。
 丁寧な仕事をして、青年たちのことを理解してもらうよう努力することだと思います。とても根気と時間が必要ですが、多くの障害者たちが自分の力で世間の認識を覆して、理解を深めています。
 障害者だから、少々不揃いでも仕方がないとか、期日に間に合わなくても許される、といった安易な考えで仕事はしないこと。企業の側も、作業所ではうまく出来ないのではないかと考えていて、貴方の作業所もそう見られたのでしょう。
 「はじめは認められなかったけれど、青年たちの努力で、今はどんどん仕事をくれ、確実な仕事を褒められています」と、ある作業所の所長は「偏見を突き破っていくのは青年たちなのです」と言い切ります。
 療育活動を始めた時、みんなで確認し合ったことのひとつに「それぞれの残された力を精一杯発揮して、生きられるように育てよう。どんなこともいい加減でなく、本気で取り組める子にしたい」と親たちと歩んできたのですが、子どもや青年たちの甘えのない真摯な生き方こそが、差別や偏見を突き崩し、周りの認識を変え、確かな理解を深めていくことだと思います。
 結婚の問題も、この子たちの力で乗り越えていくものです。
 「弟のことを問題にするような両親にはとてもついていけない。私は弟がとても好きです。今まで一緒に暮らしてきて、嫌だと思ったこともないのに!」と泣き崩れる姉。よく聞いてみると、恋人には、はじめから弟が障害者であることも話して、家にも遊びに来てもらい、すっかりうちとけて、いよいよ具体的な結婚のことを進めることになった時、彼の親族からの反対にあったとのことでした。
 「彼はどう言っているの?」「彼は『どんなことがあっても一緒になりたい、親を必ず説得するから!』と言っているのです。」「貴女は?」「彼が好きです。」「では、彼と力を合わせて、ご両親に理解されるための戦い開始ね!」根気のよい話し合いと、なによりも、弟の礼儀正しい態度。人を心豊かに包み込んでくれる豊かな感性。それまで育てられた真摯な生き方が、相手側のご両親の気持ちを変え、理解されてゴールインしたのでした。
 兄弟姉妹たちの多くが様々な障害を乗り越えて幸福に暮らしています。「こんなやさしい婿さんを迎えられたのは、あの子のおかげかと思うことがあります。車椅子の弟を、私に替わって、抱いて乗り降りをなにげなくやってくれる婿なのです」年取った母は嬉しそうに、婿自慢です。
 はじめ様々な反対があっても、誠実な生活ぶり、人に甘えたり寄りかかることなく、自己実現している姿を見て、多くの相手側の親族は納得され理解されたのでした。そして、両親や兄弟、そして伴侶となる人の粘り強い努力のおかげで、理解者を増やしているのだと思います。
 それから、いじめられたり疎外されたりはしないけれど、もうひとつの偏見があります。一見、とても理解され受け入れられているように見えても、この子たちの力を低く見て、やさしく大切にすることがこの子たちのためと考えて、あたりまえに出来るはずの生活の手だてもさせず、かばわれて育てられた子ども、悪意はないけれど、子どもにとって結果的にはひとつの差別だと思います。
 「それでも障害児の母親ですか?子どもが嫌がっているではないか!」担任の教師に責められても、視力障害の息子に鉄棒も跳び箱も、登り棒もきびしくやらせ続けた母。成人した今では、白いステッキがあれば何処でも歩けます。「目が見えないから、身体に確かな感覚を身につけなければ命も守れないのです」と母。
 自閉症だからパニックにならないように、様々な体験をさせずやさしく包み込んでしまう。知的障害だから「できない」とはじめから決めてしまい、介助ばかりしてしまって、「赤ちゃん大人」にされてしまう子どもたち。世間の人たちから「可哀想な、保護されないと生きていけない存在」と決めつけられている多くの子どもたち。
 さげすんだり、いじめたりするのも差別ですが、保護しすぎて自分で生きる力をそいでしまうことも、本当には人格を認めていないのだと思います。
 もちろん、障害のため、したいと思っても、どうしても出来ないことはあります。でも力を持っているのに甘やかされて育ってしまい、ますます差別や偏見の中で暮らさなくてはならないのは残念でなりません。
 こうした、偏見や差別はどうして生まれるのでしょう。
 人間同士がお互いに同じ人間であることを認識していないからだと思います。相手の痛みや苦しみが判らなくなるのは、人として同じ立場にあることを忘れてしまうからだと思います。保護しなければと必要以上に手を貸したり、特別扱いしてしまうのも、同じだと思います。
 人は生きているかぎり、どんな人もなんらかのハンディをおうものです。それまで順風満帆に暮らしていた人も、いつ立場が変わるかも判りません。みんな同じ人間だからです。
 障害と向き合い、克服しようと努力している子どもや青年たちのけなげな姿を知らせていくこと。親や私たち関係者が「人はみな同じ人間」という気持ちで、偏見や差別に向き合っていくことだと思います。
 今、障害者たちが自分の気持ちを人々に伝え、どう地域社会で暮らしていきたいか、少しずつ発言し始めています。
 「同情はいりません、ともに歩いて欲しいのです。」この子たち、青年たちの願いです。
 貴方も青年たちや親たちと共に、根気よく仕事を続け、理解者を増やしていかれますように!


相談員:辻 滋子(発達協会)保育士

  
Q2

■25歳の息子のことで、お便りします。3歳の時に、自閉的で発達に遅れがあると言われ、これまでいろいろなことがありました。言葉が出ず、あちこち動き回った幼児期、学校時代は様々な問題行動に悩みました。思春期にはエネルギーがありあまるのか暴れることもありました。
 今は、養護学校の高等部を卒業し、家の近くにある作業所で仕事をしています。最近は落ち着いてきて、親子共々安定した日々を過ごせるようになりました。この穏やかな生活が続いていってくれればと思っていました。
 しかし先日、私が風邪をこじらせて寝込んで以来、息子のことが心配になりました。私たちが元気な間はいいのですが、動けなくなったり、いなくなったりしたら息子はどうなるだろうと思うと、考えてしまいました。
 息子の将来のために、今、何をしておくべきでしょうか。また、皆さんはどうされているのでしょう。これからのことを考えていくために、ぜひ知りたく思います。お返事くだされば幸いです。

A2

■親が子どものことを思う気持ちはいくつになっても変わりなく、ご心配ですね。私のつきあっているお母さん方の中には、「子どもより1分でも長生きしたい、そうでないと心配で」と冗談のように話される方がおられます。幼いときから手塩にかけ、「自分がいなければ」という思いで育ててこられたからなのでしょう。しかし、自分より20年以上も後から生まれたのです。いずれ、親は子どもを見守れない日が来る、このことを念頭にいれて、生活していかなければならないと思います。
 以前は、学校を卒業する頃になると、福祉事務所のケースワーカーに「お母さんも年をとって世話が大変ですから」と施設入所を勧められたものでした。施設に入所する青年は多く、親も将来を考えると、寂しいけれど子どもを入れたのでした。
 近年、地域作業所が親や関係者の努力でできて、日中は作業所や授産所で働く青年が多くなりました。私たちが関わってきた青年の多くが、家庭で当たり前に暮らし、地域の中で働き、充実した日々を過ごしています。しかしあなたのような心配をされている方もまだまだたくさんおられます。
 将来を考える時、ひとりひとり置かれた状況は様々で、家庭や地域の状況、それぞれの地域や状態など違うので、具体的にどう暮らしていったらいいのかはお答えできません。しかしいずれ家族と離れ、何らかの形で自分で生活していかれるときまでにしておくべきことは共通と思います。見通しが持てるよう、何をしておかなければならないか述べてみます。

●働き始めてからも、生活指導は続けていくことが大切
 作業所や工場で働き始めると、「疲れるだろうから」と生活上必要なことまで親がしてしまいがちです。身の回りの始末はもとより、洗濯、掃除、簡単な食事の準備、身近な物の買い物、生活のマナーなど、丁寧に練習を積み上げて力をつけておくことは、将来グループホームで仲間と暮らすにも、家族と暮らしていくのにも、施設で生活するにも必要な力になります。他人に世話をされるより、自分で働き、自分の力で暮らす方が快適です。青年達も、自分で生活を組み立てられる方が充実した日々が過ごせると思います。私が関わった多くの青年達は、家庭やグループホームで暮らしていて、朝食の準備、部屋の整理、洗濯など、朝簡単にすませて仕事に行きます。また、雨で濡れた傘を干したり、お風呂に水を入れて沸かしたり、食事の後片付けや、ベッドや布団のセットなどは自分でしています。丁寧な掃除、トイレやお風呂の掃除、布団干し、雑貨などの買い物、シーツなどの大きな物の洗濯は休日の家事です。要は、当たり前に人が自活するための手だてを、丁寧に身につけておくこと。青年達はこうしたことができるようになると自信を得、張りのある生活を送れるようになります。
 息子さんも、簡単な家事が一緒にできるようになると、いずれ人と暮らすことになった時、戸惑いや混乱を起こさないでしょう。
 主婦は家事のベテラン、誰が教えるよりも的確な良い指導ができます。

●家族以外の人と寝起き・生活を共にできるようにしておく
 今はご家族と生活をされていて安定して過ごしていられるようですが、急に家庭から離れると、生活を始めたときの混乱は大きく、パニックを起こしたり食事ができなかったり、便秘をしてしまったりします。
 家で生活していても、知り合いのところに泊まったり、友達同士で泊まり合ったりするといいですね。グループホームにショートステイしたり、親同士で家を借りて、ボランティアを頼み、親も他の青年たちの世話をして、我が子が皆と暮らしを楽しむことができるよう力を寄せ合っている親たちもいます。

●暮らしの場を親や関係者、皆で考え力を合わせてつくっていく
 既成の施設や授産施設を更に充実させていくことも大切です。また、地域の中で仲間と当たり前の生活ができるようにと、最近は親や関係者が、グループホームをつくり、近くに父母が住む家があっても、皆と暮らす練習をしています。
 将来の暮らしを、与えられたものではなく、自分で選び、納得のいく生活をすすめられる場を、仲間とつくっていけるといいですね。
 私たちが我が子に残せる財産は、確かな教育と、回りに仲間や友だちをのこしておくことだと確信しています。
息子さんが、自律されるまで、もうひと頑張りですね。お元気で!

相談員:神田 武子(発達協会)保育士

  
Q1

■今年から知的障害者の作業所の指導員になりました。現在、18歳から30歳までの青年たちが通所してきています。
 日々迷うのは、利用者に対しての接し方です。「相手を大人として認め、年令相応に接するように」と言われ、自分でもそれは大切なことだ、と思っていますが、毎日の接し方の中ではこれが大変難しく、悩んでいます。
 実際、年令相応とは思えない行動(生活面が自立していない、作業に集中しない、思い通りにならない時の、幼児のような反応行動など)に出会うことがしばしばです。こうした人たちに対して、「大人なんだから」という接し方をしていくことが、はたして有効なのか、と考えてしまうことがあります。
 大人であるのに、幼児のような行動をしている青年に対して、どのように"相手を認めて"接していけばよいのでしょうか。

A1

■「大人として認める」、「年令相応に接する」ということは、「大人としての行動とはどういうことか」、「年令相応の行動というのは、どうあるべきなのか」、という判断基準を、まず指導員であるあなたが、常に考えていくことが要求されますね。その上で、大人として認められない行動に対しては、断固「それはおかしいこと、認められない行動なんだ」、とわからせていくこと。その一方で、作業などに努力するよう誘導して、頑張ったことを評価してやることでしょう。
 身体はしっかり大人になっているのに、意識の面では幼児のまま、という青年たちが多いのは事実です。しかし一方で、障害そのものは重いのに、まわりの人たちから信頼され、評価されながら、自信をもって働いている青年たちも多くいるのです。この青年たちをみていると、「知的障害があるから幼いのだ」、ということは決してない、と教えられます。
 ともすれば、知的能力が過大に評価される社会の価値観の中で、わが子に知的障害(精神発達障害)がある、と知らされた時、親ごさんたちは大変なショックを受けたことでしょう。そこから、「それでも、できるだけ人に依存せずに、自分のことは自分でやれる子に育てよう」と、立ち直って歩き出した親ごさんもいるし、「何もわからない子なんだ、面倒を見てやるしかないんだ」と、「学ばせて育ててゆく」ことを、あきらめてしまった親ごさんもいます。
 「学ばせる」ことをあきらめて育てられてしまった子は、当然ながら身体は大人になっても心は幼いままで、気に入らなければ暴れるし、依存的で自分のこともやらない、まわりの人や状況にあわせることもできない、という青年になってしまします。「自分本位にやりたいようにやっていいのだ」と、逆に学んでしまったというわけです。
 一方、側で見ていて頭が下がるほど、一生懸命育ててきた親ごさんの中にも、「子どもが自分から学ぼうと思うように働きかけていく」という視点が持てず、判断したり決定したりするコントロールタワーの役目を、親が引き受けてしまった、という場合、技能的にはいろいろできるのに、一人ではどうしていいのかわからず、混乱してしまうという青年が育ってしまいます。
 今、あなたの前にいる青年たちの中にも、障害そのものは重いけれど、「がんばっているなァ」感動させられる青年がいることでしょうし、「なんで、こんな行動とるんだ?」と、情けなくなってしまうような青年もいるでしょう。青年たちはそれぞれに、今までの"生い立ち"を背負っているのです。
 何年か前、作業所で働く青年たちと親ごさんの旅行に同行したことがあります。一夜明けた翌朝、なんの違和感もなく、何人かの親たちが青年たちの部屋に入っていきました。ちゃんと着替えたかしら、汚れた下着を着ていないか、というわけです。これでは青年たちは自立できないな、と思いました。数年後、この青年たちと海外旅行に行った時の、親の干渉がない所で、自由に買い物をしたり、食事のメニューを選んだりしていた青年たちの生き生きとした表情が、今でも印象深く思い出されます。
 もちろん、こうした彼らの行動の陰には、職員やボランティアの支えがあったわけですが、この経験の中で「自分で決定する」喜びや、その「結果」を自分の責任として受けとめる体験をし、それが青年たちに「自信」や「誇り」を育てたのだろうと思います。帰ってからの作業態度に、大半の青年が変化を見せました。

 A君、25才、彼は18才から作業所で働いています。彼は作業が変わると不安で、パニックを起こしたり、企業実習に行ってもなじめずに戻されたりしていた人でした。先月、久しぶりに彼に会った職員が、「A君は成長したねえ、リッパになった」と感心していました。その職員がゴミの袋を置きに作業所の中を通ろうとした時、休憩時間だったのに彼がさっと立ってきてドアを開け、職員が出て行くまでドアを支えていた、いうのです。自分から気づいて、人のためにそういう行動をとれるようになったA君に、感動していたのでした。

 B君は21才になりました。20才の成人式に背広を着られるのが嬉しくてたまらなかった彼。それを大いに利用して「大人になること」の誇らしさと責任を、精いっぱい教えました。16才でやってきた彼は、思い通りにならないとおもらしをし、それでも効果がないと器用に脱糞をして、こちらの反応をうかがうようなことをする人でした。こういう行動は断固として許さず、「自分がつらいだけだ」と思うような罰を与えました。一方で「さすがB君!」と評価する場を工夫する取り組みの中で、彼は「大人として認められる」喜びを知ったのだと思います。
 ほめることも罰も、私たちが青年たちの学んで成長する力を信じ、人間としてどうあって欲しいのか考えながら向かいあっていく中で、効果をあげていくのだ、と思います。

相談員:石井 葉(発達協会)保育士